平成21年11月11日水曜日

悲しみの花、空の竹

今日も舞踏のお稽古へ。今日は特に感情が動かされる強烈な内容でした。

まずは、空間を見る。踊るときは外ばかり見ずに、内を見つめることも大事。でも見るということを知らずに、見ないで踊ることは出来ない。いつも見ている稽古場を、再び深く見る。触れて感じるように見る。感動が生まれるように。
日常生活もこういう風に見ることが大事だと思った。いつも同じと決めつけず、真に目を見開けば、そこには新鮮な発見があるはず。


まる、三角、四角。千厓和尚の禅画。空間は使い方で形を変える。また、空間の角、隅にはエネルギーが宿る。

芯について。あの人は芯が通っている、という言い方をよく耳にする。私たちは目に見えない芯の存在をを感じ取ることが出来る。芯の通った花になる。足元は地と繋がり、頭頂は天に向かって咲く花。天と地と繋がる。光と闇を繋げる。

悲しみの花。自分が花を運ぶ、また花に運ばれる、二つの歩き方がある。自分は消して、自分の悲しみを花に移し、花を主役に踊った。花を見ただけで悲しみが表現されていれば本物。今自分の持つ悲しみって何だろう、と考えた。特にないと思った。でも次の瞬間ふとした気づきに涙があふれた。それは悲しみだけじゃく、反省とある人への許しの涙だった。体を動かすことで、無意識から呼び起こされた感情と出会った。それをただ無心に踊りに託すことは、とても力強い癒しになった。

岩になる。石の密度を踊った。固いからだ。制限された動きの中で悲しみや怒りなどの感情を表現した。

木になる。木造建築は柔らかい。柔らかいところに住めばそれは体に表れる。新宿の鉄筋コンクリートのビル群を歩く時は、歩き方もカチコチしてしまう、と言って実演した先生の姿が笑いを誘う。木製の仏像の写真を見せられ、優しく微笑む木の仏を踊った。世の中、笑うことは大事。

体、という漢字は、空、という漢字がもとになっている。かぐや姫は空洞の竹から生まれた。それは体は空という発想から来ている。この体は竹のように空洞。空の体から何かが生まれる。固くなり緊張したらそこからは何も生まれない。

点になる。メモ帳とペンを配られ、自分は点である、といい聞かせる意味で、点を書きながら踊った。踊りは線と思いがち。線も良い。でも点になることも大事。上下四方の空間に囲まれると最終的には点になる。点になるとき、止まって空になる。そして次の動きは自然に湧き出て自由を謳歌する。

雑巾絞り。手ぬぐいを精一杯絞りながら、命の最後の一滴を絞り出す。フォルテ・ピアニッシモ。これが難しい。内面を強く表現しながらも、うるさくなりすぎてはいけない。強くて静かな動き。

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