平成21年12月2日水曜日

Vipassana瞑想 in サールナート


ヴァラナシから車で約1時間の仏教の街、仏陀が初めて説教をしたという土地サールナートでヴィパッサナー瞑想をしてきました。ヴィパッサナー瞑想は仏陀直伝の、彼自身が悟りに達した瞑想法だそうです。


10日間のコースでは、朝4時起床から夜9時半の就寝まで、1日約10時間瞑想し、喋ることは一切禁じられています。今回で4回目の参加になります。サールナートの センターは、一面畑の何もないところにある小さなセンターで、木や色とりどりの花が植えられた可愛らしいところでした。


初日の夜、おそらく水道水で歯を磨いたことが原因で、瞑想1日目から、下痢、嘔吐。少しハードなスタートとなりました。この日は休憩時間はひたすら寝ていました。

2日目には 回復し、瞑想に集中することができるようになりました。最初の3日間は、ひたすら呼吸に集中します。いくら集中しようとしても、心は隙間をみつけてすり抜 けるようにして、いつの間にか考え事を始めています。それに気づいたらまた呼吸に戻る、をひたすら繰り返します。でも日が経つにつれて徐々に集中力は増し てきました。

4日目以降 は、全身の感覚に集中しました。長時間の瞑想では、どこかしら体が痛みだし、痛みがやってきては去る、を繰り返します。そしてコース後半になると全身が溶 ける、という快感も味わいます。その感覚もまたやってきては去ります。体の感覚も、世の中の流れと同様、諸行無常です。すべては変わりゆくといくというこ とを自分の体の内側を観察することで体験します。痛みと快感の波のなかで、痛みを嫌悪せず、快感に執着せず、ありのままを見つめながら常に完全な心の均衡 を保つことを学びます。そしてその精神を人生に活かすことを目指します。


インドの ヴィパッサナーは初めての参加で、過去のコースとは違うところもありました。瞑想中のゲップはときにまるで交響曲のようでした。本来他の参加者との接触は アイコンタクトすらも禁止されています。でもあるインド人のおばちゃんは、世話好きをやめられず、懐中電灯で私の部屋の鍵の番号を照らしてくれたり、瞑想ホールの外が暗いとき、みんなのサンダルを照らしくれました。そんな無言の温かい接触はありました。


10日目に沈黙は解かれ、全員会話を許可されます。そうすると今までの深刻な固い表情は一気に緩み、みんなにっこにこで、この時を待っていた!とばかりに会話を始めます。

そして、外 国人同士6人で集まって昼食をとっていると、インド人のおばちゃんに、今から歌とダンスするから女子寮に集まって、と呼ばれました。え〜!今までのヴィ パッサナーではありえない展開!おもしろい流れに笑いをこらえられず。そしていざ始まるとこれがまた非常にぎこちなくておもしろかったです。椅子を円形に 置いて、とりあえず希望者から歌います。インド人の歌の上手な若い女の子が先頭を切り、そのあと私たち外国人達も歌うよう言われます。私は下手だからと断 る子にも、どうやら強制のようで、結局外国人は嫌がっていた子達も含め全員歌いました。あるおばちゃんに、歌って、と誰かが言うと、腰が痛いから歌えな い、とのちょっとハテナな理由で断っていました。

そして11日目、別れの時にもまた、インド人のおばちゃん達はとても温かかったです。ハグされ、懐中電灯のおばちゃんに「my daughter」と顔を撫でられ、腰が痛いと言っていたおばちゃんは、ぼろ泣きでした。それを見て少しウルっときました。

朝センター を出発。のどかな農村を通ってサールナートの街へ向かいます。10日間目を閉じての瞑想のあと、緑はさらに鮮やかに見えました。ジープから村人達の日常を 観察しながら、静かな幸せに満たされました。なぜか服を着せられ、ぼーっと突っ立ている子牛、おしりを半分出して真剣に遊ぶ子供、木の枝をかじって歯磨きしながらジープを見送る青年達、何気ないいろいろなことが愛すべきものに思えました。

午前中サールナートを少し観光。日本の寺院、タイの寺院、仏陀が初めて説法した場所などを見て回りました。


昼食後ついにヴァラナシへ。相変わらずの喧噪を懐かしく眺めます。いつも滞在するアッシーというエリアに着くと、路上やお店でたくさんの知り合いが再会を喜んでくれました。

人々の話し声がごちゃ混ぜの騒がしいレストランの中でも、一息ついて目を閉じると、体の中は微細な心地よい振動に満ちていました。内側の静けさがより確かなものになって、これからはインドの喧噪ともうまくつきあっていけそうだと思いました。


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